二天一流の理論

理論

【理論】兵法二天一流玄信会で理論を学ぶべき理由

これから、不定期にはなりますが玄信会・東京支部の特に武道理論に触れてこなかったメンバーに向けて、武道の理論に関する記事を制作しますので、理論を学ぶ機会にしていただければと考えています。

私自身まだまだ学び研鑽していかなければなりませんが、私の今のレベルで書けることを発信していきます。

(1)この記事執筆に至った背景

もともと、玄信会の体系は「前八」「勢法」「理論」の三本柱になっています。私が福岡で学んでいたころは、1年のうち半年は稽古の後に1時間の学習会が行われ、また毎年課題論文を提出するなど、理論の学習機会がありました。

学習会では、南郷継正武道哲学講義全集の第八巻「武道とは何か」を中心にしつつ、五輪書も用いながら、武道、二天一流、剣術について宮田先生と議論をしながら学びを深める形で行われていました。その学習会の内容は、私が一部を記録しいつもの会員ページ内で公開している通りです。

しかし、私を含め既存の会員が忙しくなり論文集「二天への道」の発刊も休止され、現在は理論を学ぶ機会が少なくなっています。南郷先生の著作自体、一部は売り切れになり入手が難しいこともあり、特にここ数年で入会した会員にとって理論の学習機会が減っています。

そこで少しでも理論の学びのきっかけが作れればと思い、このように記事で理論の一部をまとめますので、読んでいただきたいと考えています。

(2)玄信会における理論の意義

そもそも、理論の学びにしっかり触れてこなかった会員にとって、玄信会においてなぜ理論が大事とされているのか、あまり理解されていないかもしれません。この前提から説明します。

そもそも、私たち玄信会は、二天一流の鍛練を通じて、流祖宮本武蔵先生の技と精神に迫り、その内容を伝承していく目的意識を持って活動しています。しかし、当然ですが流祖が二天一流を興したのは400年ほど前であり、時代は変わり、真剣勝負など日常から遠い社会になりました。私たち現代人にとって、すでに命の危険を感じることも、戦場に出る必要もない社会になり、流祖の技や精神を理解することは難しくなっています。一方で、流祖の技と精神に迫るためには、流祖がどういう時代を生き、どのような発想をして、どういう鍛練をして、どういう境地に至ったのか、深く研究して理解する必要があります。時代、社会の変化から流祖の認識を理解することは難しくなっているのに、私たちは流祖の認識を理解しなければならない、という矛盾を抱えています。では、この矛盾を解決し、まったく異なる時代を生きた流祖の技と精神を理解するにはどうしたらいいのでしょうか?

理論的には、大きく2つの方法があるでしょう。1つは真剣勝負をしながら命懸けの日常を送る中で生き残りながら技と精神を磨くという、流祖の生き方を直接にたどる方法です。しかしこれはもちろん現代では行うことができません。もう1つは、流祖、そして二天一流の先人らが残した様々な手がかりを媒介にして技と精神に迫っていく、媒介的な方法です。一般的には、多くの流派が先人が残した型や鍛練法、伝書、口伝などを手掛かりに、流祖の技と精神に迫っていく、という媒介的な方法を採用しているといえます。

しかし、繰り返しになりますが、流祖が生きた時代と、私たちの時代はあまりに異なるため、普通のやり方で流祖の境地に迫ることは難しいと思われます。それは一部の古武道流派で、技が実際には使えないようなものに形骸化していることや、流派の思想の解釈が観念的で理解しがたいものに陥ってしまっている事実が示しています。「私はこう思う」という感性的な解釈以上のものを生み出すことが難しく、技や思想の研究は個々人のセンスや研究手法によって、多様なものになってしまいます。そのため、伝承を続けるほど違うものになったり、正しく技が継承されない、師匠は達人でも弟子は達人になれない(再現性がない)という問題があります。

そのため、流祖・先人が残した様々なものを手掛かりにしつつも、個々人の個性的な発想やセンスに依存しない、より発展した方法を採用する必要があります。そこで、玄信会では宮田先生によって南郷継正先生の武道上達論(科学的上達論)が採用されているのだと私は理解しています。

科学的、というのは、端的にいえば再現性があるということです。科学的上達論を採用することで、個々人の発想、センスを超えて正しく流祖の技や精神を研究することが可能になり、また、後世にも正確に伝承していくことが可能になります。「この通りに学べば上達できる」とか「この通りに学べば二天一流や流祖のことを理解し、研究できる」という体系を創ることができるため、私たちの現代での実践を後世に伝え、後世の人たちはその上にさらに実践・研究を蓄積することができ、時代を超えて発展させていくことができます。

個々人の身体感覚やセンス、経験的な考え方は、時代・社会の変化によって大きく変わっていきます。しかし、理論を用いることで時代を超えて正確な伝承、研究が可能になると考えます。

ちなみに、ここでの「科学的」というのは、実証的なデータを集めたり、コンピュータで分析したりすることではありません。「二天一流の技、精神がどういうもので、センスと関係なく誰もが上達できる体系をつくるにはどうすればいいのか」といったことを実践を通して理論化していくことをいいます。

(3)南郷継正先生の理論であるべき理由

「では、なぜ南郷継正という人の理論を採用するの?」という疑問も出てくるかと思います。

先に南郷継正先生について説明しておくと、南郷先生は戦後すぐのころから空手の研究、指導をはじめ、その実践を通じて科学的上達論を体系した武道理論家です。玄信会では、南郷先生から学び、その上達論を二天一流の上達のために活用しているため、南郷先生から学ぶことが体系に取り入れられているのです。

南郷先生の科学的上達論とは、端的にいえば「あらゆる技術(スキル)を身につけるための理論」です。南郷先生は、武道の研究を通じて「あらゆる技術はこのように身につけたらいいのだ」という理論を創り出していったわけです。この「技術」には、武道のような五体を用いて闘争する技から、スポーツはもちろん、コミュニケーション、そして不動心や「悟り」のような心の創り方・働かせ方も含まれます。武技のような実体の技から、コミュニケーションや心のような実体のない(認識の)技まで、すべてに通用する「こうすれば上達できる」「こういうことに気を付けないと上達できない」といった理論を創り出したのです。私たちが学ぶべき「理論」とは、まずはこの科学的上達論のことである、と知っておいてください。

「その理論を学べばあらゆる事柄で達人になれるの?」と思われるかもしれませんが、結論をいえば簡単にはいきません。南郷先生の上達論とは、あらゆる技術に通じるものであるため、一般性レベルの(抽象度が高い)理論です。そのため、それを自分が学びたい何らかの技術の上達に適用するには、理論を学んで適用しながら実践する過程が必要です。また、それぞれの分野における個別具体的レベルでの理論を学び、南郷上達論との整合性を考えていく、ということも必要です。

「抽象的な理論ですぐに使えないなら、自分の分野の専門家が書いている理論だけ学べばいいのではないか」と思われるかもしれません。しかし、専門家の書いた理論は「その人の経験則から導き出されていて、再現性がない」「狭い範囲でしか通用しない」などの問題もあります。そのため、あらゆる分野で通用する南郷上達論のようなものを知っておかなければ、活用しようとしても間違ったり、成果につながらない問題が出てきます。

端的にいえば、南郷上達論とは「こういう方向で努力すれば間違いはない」という大きな地図(たとえば日本地図や東京全土の地図)のようなものです。それに対し、特定の専門家が本などに書いている理論は、より小さな範囲の、いわば地域や路地の道なりを書いた地図です。ただし、専門家の理論はより広い分野でも通用するように書かれていることがあったり、どの範囲まで通用するのかあいまいであることがあります。そのため「ある流派でしか通用しない理論」が「古武道のすべてで通用する」かのように読めてしまうこともあります。したがって、大きな方向では間違わないように「大きな地図」である南郷上達論を知っておくことが大事です。その上で二天一流の場合は、南郷上達論を二天一流の上達のために役立つように学び、適用し、しっかり学びが深まったらより個別具体的なレベルの「すぐに役立つ」理論まで詳細化していく、ということが必要だと考えています。

南郷先生の上達論は、非常に高度で唯一無二のものです。そのため、二天一流を含め、あらゆる技術で上達をしたいと思うなら学ぶことは必須です。また、玄信会の会員の皆さんは、二天一流の上達のためにも、未来の世代に正確に伝承していくためにも、理論を学んでいただきたいと思います。

(4)南郷先生の本が読みにくい問題

南郷先生の本を読むと上達論の他に「勝負論」「武道論」「弁証法」「認識論」「論理学」などさまざまな理論が出てきて混乱する思いを持たれた方もいると思います。「武道と弁証法とかいう学問に何の関係があるの?」というのが正直なところではないかと思います。結論からいえば、初学者は他の理論はとりあえず脇に置いて「上達論を学ぶ」ことに集中すると学びやすいと思います。

そもそも、上達論と弁証法等が一緒に本に書かれているのは、南郷先生が弁証法という学問を使って上達論を体系化されたからだと理解しています。南郷先生によれば、戦後すぐのころの空手には科学的といえるような上達論は皆無であったため、自らの上達や弟子の指導のために弁証法を使い、上達論を創出していったようです。その上達論の創出の過程で、弁証法という学問の理解も深まり、いわば南郷弁証法といえるような学問体系として発展しました。そのため、南郷先生の上達論と弁証法はコインの両面のように表裏一体であり、本の中でも一緒に語られています。学ぶ側からすれば「弁証法などの用語もよくわからないし、ややこしい」という感じがするかもしれませんが、まずは「そういうものだ」と思って、上達論を学ぶことに集中すると学びやすいと思います。

また、南郷先生の理論の中で、特に私たちに関連するものに武道論もあります。これは、武道とはどういうもので、どういう価値があり、スポーツなど他の運動とどう違うのか。武道の技や極意、不動心といった精神面の文化とはどういうものだといえるのか、といったことを研究して明らかにした理論です。これも、二天一流を理解するために必須です。

これらの理由から、私の解説では、ひとまず上達論と武道論にフォーカスしたいと思います。混乱を避けるために弁証法などの用語は極力使わず、特に二天一流や玄信会の体系が理解できるように解説します。弁証法は非常に重要な学問なのですが、これを解説しようと思うとまた膨大な内容になってしまうため、しばらく保留しておきます。

(5)理論を学ぶには

最後に、玄信会において武道の理論を学ぶ方法をお伝えします。

まず、上達論、武道論などを南郷先生の書籍から学ぶことが大事です。南郷先生系の本は多くあるため、まずは下記のものを読むことをおすすめします。

また、当然ですが宮田師範が書いた2冊の本や、魚住先生の『五輪書』も読むことが大事です。

参考書

これらの参考書は、南郷先生のお弟子さんが書いたものです。具体的な武道の体系として書かれているため読みやすいと思います。

また、南郷先生の弁証法や認識論など、より学問的な面が学びたい場合は、下記の本から読むことをおすすめします。

これらの本を読む上で大事なのが、本に書いてあることを事実そのままに読むのではなく「どういう論理を説明しようとしているのか」を意識して論理として読むことです。中には古い本もあるため、書いてある事実をそのまま読むと「古臭くてよくわからない」という気もします。三浦つとむの本はマルクス主義の色が濃いため「もうマルクス主義なんて古くて使えないだろう」と感じ、感情的に学ぶことを拒みたくなるかもしれません。しかし、こうして本の価値自体を切り捨てると、そこにある論理を学べなくなります。三浦つとむ本でいえば、学ぶべきなのはマルクス主義ではなく、弁証法の基本概念(対立物の統一、直接と媒介、相対的独立、三法則、矛盾など)です。「どういうことをいいたいのか」という背景をしっかり読み取るように読んでみてください。

また、弁証法・認識論などについて、他の学者が書いた本は基本的に読む必要はありません。ほとんどが間違っているためです。とりあえずここに出した本から学び、これらの本の中で出てくる本を読み進めれば間違いなく学ぶことができます。

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