宮本武蔵は本当に二刀流だった?一刀で戦った記録しかない?よくある疑問に答えました

宮本武蔵について

当流派の流祖である宮本武蔵は、二刀流で有名な剣豪です。

しかし、宮本武蔵について少し調べた人なら、宮本武蔵が実は、

「一刀で戦った記録しかない」

「本当は二刀は実戦的ではなかった」

と言われていることにも気付いたのではないでしょうか。

結論から言うと、宮本武蔵は一刀ではなく二刀の達人であり、実戦でも主に二刀で戦っていたのだ、というのが私たち二天一流玄信会の考えです。

その理由を詳しく解説します。

宮本武蔵は本当に二刀流だったのか

宮本武蔵自身は真剣勝負において二刀を使っていたのでしょうか?小説も含めて有名な勝負はほぼすべて一刀で勝負していることから、二刀は実戦的ではないのではないでしょうか。

二天一流の「戦いの事例集」ともいえる『二天記』には巌流島の決闘までの戦いでは一刀で戦う描写がほとんどですが、これはいつも二刀をもって戦う宮本武蔵が例外的に一刀を用いた珍しい事例だったからこそ書かれているものです。老年は二刀で戦う描写がほとんどであるのは、例外的に一刀を用いることすらせず全て二刀を用いたことから、二刀の描写だけしか描く材料が無かったということによると考えられます。

また宮本武蔵本人の残した伝書から考えますと、たとえば青年期の宮本武蔵の著した『兵道鏡』には、二刀の技の詳しい説明や二刀同士の戦いの方法などが詳細に説かれており、ここからも宮本武蔵が二刀流の達人であり、若いときから二刀を用いた数多くの実戦経験を持っていたことが分かります。

片手剣法だったのでは?

しかし、より詳しく調べてみると、宮本武蔵は『五輪書』の中で、二刀を学ばせる理由として「太刀を片手にてとり習わせんがためなり」と書いてあります。これを根拠に、「二天一流は二刀流ではなく片手剣法です」と主張している二天一流の一派もあります。

このようなことから、宮本武蔵は二刀流ではなく片手剣法として強かったのではないかと考える人も少なくないようです。しかし、私たちの考えは異なります。

「片手剣法」を主張する一部の二天一流が存在するのは事実ですが、我々兵法二天一流玄信会は、二天一流は最初から最後まで二刀の技で構成された剣術であると捉えています。よって全ての型や基本技は、二刀を使うことができるための鍛錬として位置づけています。兵法二天ー流玄信会でも、二刀の他に抜刀・一刀・小太刀の技を稽古しますが、それらも二刀から派生した技であり、かつ、二刀流鍛錬の一環として稽古しています

『五輪書』の片手剣法論ですが、これは当時の二天一流が根付いた肥後・細川家において、細川家中の武士たちは複数流派の併学が義務づけられていたことから、二天一流の技が一刀主体の他流派の技と衝突しないように宮本武蔵が配慮した結果の記述です。

現実には、宮本武蔵から連綿と伝承された二天一流の技は、大小二刀を駆使する技となっており、それは片手剣法を主張する一部の派も同様の型となっています。たとえば、二刀を十字に組み相手の斬撃を受け止める技(細かい違いはありますが、この技は二天一流のどの派にも伝わっています)は、果たして「片手剣法」と言えるでしょうか?
また、宮本武蔵の青年期の伝書『兵道鏡』には二刀対二刀の対戦方法が「真位之位」として書かれています。ここからも、宮本武蔵が片手剣法ではなく二刀流で戦っていたということが分かります。

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